死刑は国家による殺人?-12月6日-ココログ・ニュース
---以下、引用---
またしても、亀井大臣の発言が物議を醸している。読売新聞によれば、先日、亀井大臣は死刑制度に関するシンポジウムに出席し、「死刑は国家による殺人」と発言したという。
このことに対し、ネット上には賛否両論のコメントが殺到。ネット上の書き込みのなかには、亀井大臣の発言に批判的なものもあり、「自分の家族が島根の女子大生みたいな目にあっても、死刑廃止と言えるのだろうか」「机上の空論」「死刑は濫用すべきではないが、残しても良いと思う」など、様々なコメントが寄せられている。
一方、死刑廃止論の立場からは「被害者は、犯人が死刑になることで喜ぶだろか」「犯罪者が更正して社会復帰を果たす。これこそ法治国家の目指すべき姿」など、大臣に賛同する意見もある。
(秋井貴彦)
---以上、引用---
"死刑存廃問題" というのを時々耳にするけれど、ワタシ個人的には廃止という考えは全くない。つまり、存続賛成という考え。
2001年6月の大阪府内で起きた小学校無差別殺傷事件
2008年3月の土浦連続殺傷事件
2008年6月の秋葉原通り魔事件
といった凶悪事件の犯人を思い出すと、「死刑になりたいから...」なんていう思考がみえ、「死刑に犯罪の抑止力はない」と主張する死刑廃止論者の方もいるけれど、こうした事件を起こす人間を基準に、死刑の犯罪抑止力を考えるのは間違っていると思う。
大多数の一般市民は、「刑に処せられたくない...」という思考が働くからこそ法令を遵守するのであり、犯罪を犯さないというのが現実だ。これを踏まえれば、普通の間隔において自分が死刑になるかもというのは縁遠い事柄だけれども、やはり根底には「死刑にはなりたくない」という思考が働いているからこそであり、死刑は充分に犯罪抑止力として機能しているとワタシは思う。
凶悪事件の犯人を基準に考え、死刑に犯罪抑止力はないから死刑廃止を訴えるのは、犯罪抑止力の完全なる放棄でしかないと思う。
とは言え、死刑と言うのは "極刑" とも呼ばれる究極の刑からこそ慎重に慎重を重ねる運用ってことも不可欠であり、死刑回避という考えもアリだとは思う。ただ、だからといって廃止というのは如何なものだろう...
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